読書会の記録

『旅順入城式』内田百閒

「内田百閒集成3」ちくま文庫より

開催日:2024年11月24日(日)

会場:府中市「市民協働まつり」会場内ブース

【あらすじ】
私は五月十日の銀婚式奉祝の日に法政大学で行われた活動写真の会を訪れ、旅順開城の映像を見た。兵士たちが大砲を山に引き上げる姿は痛ましく感じられた。二龍山爆破や乃木将軍とステッセル将軍の会見場面には哀しみが深く胸に迫った。最後の旅順入城式の場面では兵士たちが死者の行列のように思われ、涙で何も見えなくなるような気がした。私は涙に頬をぬらしたまま、街の中、列の後をどこまでもついて行った。

【メモ】

  • 日露戦争は1904(明治37).2.8~1905(明治38).9.5
  • 内田百閒は1889(明治22)年、岡山生まれ。夏目漱石門下の小説家、随筆家。1971(昭和46)年没。
  • 『旅順入城式』初出は1925(大正14)年の雑誌「女性」、内田百閒(1889-1971)が36歳のとき。

【読書会で出た感想(メールでお送りただいた感想も含みます)】

わからない、難しい!
👦知らない言葉がたくさん出てきて読みにくかった。「文目もわかぬ」とか「肋骨服」とか。
👧学校の歴史の授業では近現代は駆け足。頭に入っていない。この作品は歴史の知識がないと十分に理解できないような気がしました。
👨‍🦳司馬遼太郎原作のテレビドラマ『坂の上の雲』が今再放送されています。あれを観ていると、いきさつがわかりやすいです。
👨‍🦱私も見ているわ。
👨‍🦳ロシア太平洋艦隊の基地、旅順を乃木さんは3回攻撃したけど失敗し、多くの日本兵が犠牲になった。最終的に203高地を占領してロシアは降伏したのです。
👨‍🦱でもさあ、詳しい予備知識を持たなくても、小説はそのままを読んで何か感じるところがあれば、それでいんじゃないの?

銀婚式奉祝の日に開催された映画鑑賞会
👩‍🦳冒頭部分の「銀婚式奉祝の日」は大正天皇ご成婚25年の記念日、1925(大正14)年。
👧おめでたい日だから、20年も前の日露戦争勝利の映画をと主催者は考えたのね。
👩‍🦳「5月10の日曜日」と書くところをわざわざ「銀婚式奉祝の」と言い添えている。この但し書きに、「めでたくもない、どうでもいい日なんだけどさ」という百閒の声が聞こえる気がする。うがち過ぎかしら。
👩‍🦱目玉の旅順入城式の前に色々とりとめもない映画を見させられていますね。その中でも陸軍省から借りた煙幕射撃の映像は煙がもうもうとしているわけだから、ストーリーもないし、どうでもいいような内容のようだけど、「最も取り止めのないところがよかった」と言ってる。これって、痛烈な皮肉よね。冒頭の数行から、百閒のひねくれぶりが見えますね。

旅順開城の活動写真
👧日露戦争開戦時、主人公の「私」はまだ15歳の少年。勇ましい軍歌が流行し、「日本は絶対勝つ」とか「ロシアくたばれ」的な空気の中で思春期を過ごしていたのでしょうね。
👩‍🦳旅順城は難攻不落と言われたロシアの要塞。攻撃後のロシア司令官ステッセルと乃木の会見までを撮った記録映画を主人公は中年になってから大学の講堂で見たというわけね。この作品は映画を見た感想を記した随筆という体裁なんだけど、兵士と「私」が会話するといったありえないことがポッポッと挟まるので、幻想小説のように読める。
👦「兵隊の顔はどれも悲しそう」に見えたときに少年時代に歌っていた軍歌を思い出して悲しい気分になったとあるけど、大勝利と言われた日露戦争の実態を知って衝撃を受けたということかな。
👨‍🦳映画を見て、あらためて敵味方の双方の苦しみに思いを致したということでしょう。
👨兵士の行列がゾンビの行進に見えたんだね。
👩‍🦳上映された映画はネットで見ることができますけど、兵士たちはそんなに悲しそうな顔をしていないのよね。どちらかと言うと無表情。百閒には、講堂にいる人達とは違う風に見えていたのではないかしら。

無声映画なのに音声が聞こえる
👦暗い山道を登る兵士が喘ぎ声をあげている。年を取った下士が、獣が泣いているような掛け声をかける。「私」にはその声が聞こえているんだね。
👧「あれは何という山だろう」と言ったときに「知りません」と答えるのは一緒に観ている学生。でもその前に「苦しいだろうね」と言ったときに「はあ」と答えた「誰か」は一瞬、映画の中の兵士かと思った。作者が意図しているのかどうかわからないけれど、読んでいるうちに現実と幻想が勝手に入り交じってしまいました。
👨最後の方で、「泣くなよ」と言うのは隣を歩いている男。これは講堂にいる人ではない。でも後ろの方でまた誰かが泣いてる声が聞こえる。これは講堂で映画を観ている人のようにも取れる。どこからどこまでが現実なのか、クラクラしてくる。
👧最終行の「私は涙に頬をぬらしたまま、その列の後を追って、静まり返った街の中を、何処までもついて行った」が印象に残ります。「街の中」は具体的には映画会が終わって法政大学の講堂を出たあとの街だと思いますが、ここで一気に場所と時代を越境する。ウクライナやガザの今を思わずにいられません。